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人気ドラマ【いちばん好きな花】今田美桜演じる深雪夜々が抱える生きづらさとは?

ドラマ【いちばんすきな花】今井美桜演じる「深雪夜々」の生きづらさとは?について考察します!のアイキャッチ 考察
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※ドラマのネタバレ内容が含まれます!ネタバレが嫌な方はご注意ください。

こんにちは。寒暖差アレルギーでくしゃみと鼻水に襲われた大福です。

勝手に『いちはな』考察シリーズ、
大福なりにですが、椿、ゆくえ、紅葉、それぞれが抱える「生きづらさ」がどんなものなのか?について考察してきました。

こう振り返ってみると「生きづらさ」と一言でいっても、それぞれ全く違う性質のものを抱えていることが浮かび上がってきました。

簡単にまとめると…

『椿』
発達障害グレーゾーンによる特性と過剰適応、HSP気質による生きづらさ

『ゆくえ』
頭が良すぎることによって見えなくていいところまで見えてしまう、優等生すぎて過去に周囲から受け入れられなかっったトラウマによる生きづらさ

『紅葉』
低すぎる自己肯定感と人から嫌われる(拒絶)されてしまうことへの恐れなどから生まれた孤独を抱え込んでしまう生きづらさ

という感じでした。

そして、いよいよ最後のキャラクターになりました。
今田美桜さんが演じている『深雪夜々』は、どんな生きづらさを抱えているのでしょうか。

また、生きづらさと同時に彼女から垣間見える魅力はどんなものでしょうか?
まず、大きな結論として、夜々に(紅葉と同様ですが)発達特性というほどの特性は見受けられませんでした。

ですが、その一方、夜々が抱える生きづらさには
発達障害の人でも深い関係がある「愛着問題」が大きくのしかかっていると言えます。

愛着障害の側面では、前回の「紅葉」でも可能性があるのではないか?という考察を大福はしていますが、夜々の場合は、物語の中でしっかりとその関係性が描かれているので、紅葉よりも「愛着問題」が生きづらさに重く関係しているのだろうと受け止めています。

今回は、特にいわゆる「毒親問題」などで悩む人にとってはとても参考になるのではないかと思います。
それでは、今回も大福なりにですが考察したいと思います!

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【いちばん好きな花】深雪夜々の生きづらさ

①母親との愛着形成に関するつまずき(愛着障害が濃厚)がある

夜々は4人兄弟の末っ子で、長女です。
つまり、夜々の母親沙夜子からとったら、やっと生まれた待望の女の子が夜々だったわけです。

もうこの時点で沙夜子の愛情が重ためになるのはよく分かるのですが、沙夜子の場合、「女の子らしい女の子にしたい」という価値観を夜々に押し付けていました。

遊びも洋服も何もかも、母親が思い描く「理想の女の子像」を押し付けて育てていて、そこに「ひとりの人間としての夜々」が存在していませんでした。

夜々は「私はママのお人形」と思いながら育ちます

この一言は、親子関係での愛着形成が失敗していることを、よく表していると思います。

自分のことを『人形』と表現してしまうほど、夜々は自分と向き合ってくれない寂しさや悲しさや孤独を抱えていたということです。

これは、親として一番やってはいけないことなわけですが、沙夜子は、自己満足だけで夜々に「女の子であること」を押し続けていることに気づかなかったのでしょうか。沙夜子の育て方は、夜々のためではなくて実は「自分のため」というのが本質だと思います。

これはもう、毒親の典型です

このように、子供の人格ときちんと向き合わない親の元で育ち、親子間での適切な信頼関係が築けないとどうなるかというと、自分の存在価値がわからない、自己肯定感が築けない、自分というものを正しく認識することができないといった問題を子供側は抱えて生きることになってしまいます。

夜々の抱える生きづらさそのままじゃないですか

その一方、夜々の父親については物語であまり描かれていないので、とにかく夜々の人生に大きく影響を与えたのは、母親である沙夜子さんだということでしょう。

まぁ、私も一人の子の親ですので、沙夜子さんの気持ちもわかるんですよね。
沙夜子さん側に立って考えてみると「夜々にはこんな女の子になってもらいたいな」という気持ちと同時に、夜々に似合う色や似合うものを理解していたということもあるのだと思います。

そこまでは全く問題ないのですが、問題なのは「夜々本人がどうしたいと思っているか」を一切聞かずに、自分の「こうしてあげたい、こうなってほしい、こうなるはず!」という思いや期待を全部夜々だけに抱えさせてしまったことが、母親としての大きな失敗だったのだと思いますね。

また4話で、夜々が一人暮らしをしている部屋に沙夜子が訪ねてきたときのこと。
その時に「もっと可愛い服きなよ」とか「ピンクのほうがいいのに」など、
自分の理想とする夜々の姿を次々に押し付けてくる沙夜子。

そんな母親の発言も、夜々にとっては
「またお母さんの価値観を私に押し付けてきた」という風にしか映りません。

つまり、夜々はもう母親のことを信じられないわけです。
自分の本音を今まで全然聞いてくれなかった人ですから、無理もない。

親子といえど違う人間、ひとりの人としての尊重を

忘れたらいけないってことですね

②ありのままの自分がわからない。

さて、そんな母親との関係構築にトラウマを抱えている夜々なので、自分というものが大人になってからもよくわかりません。

夜々の発言を振り返ると、人から言われたことの事実に基づく自己像は持っているようですが、「私ってこういう人なんだよね」っていう話をすることが、ほとんどありません。

バラバラにはわかると思うんです。ピンクより紫が好きとか、パンツスタイルが好きとか、断片的な自分の意思みたいなものは。

でも「あなたってどういう人?」って聞かれた時に、夜々はまだはっきりと「私はこういう人」っていうのを自信を持って言えないんだなと思うんですよね。

自分に対する確信がもてないので、当然対人関係においても適切な距離感を築くのが難しい。

職場の同僚の相良くんと「友達」としてご飯に行っていたつもりだったのに、相手に「好意を持たれている」と勘違いされてしまうのも、夜々の人との距離感の不器用さを感じます。

本音では「ひとりの人として真剣に向き合ってくれる誰かがほしい」と渇望しているし、夜々の場合は、紅葉のようにそれを孤独として抱え込んでしまうのではなく、そんな自分の欲求に諦めずにもがいているので「もしかしたらこの人はわかってくれるのかもしれない」って期待したのでしょう。

でも結局は、「夜々をひとりの人としてみている」のではなくて「恋愛対象として性的な目で観られていた」ことがわかって、夜々は傷ついてしまいます。

この「誰と一緒にいたら自分は幸せなのか」がわからないのも、自分が分からないということをよく表している気がする

一方で「また、相手の価値観の押し付けをされたらどうしよう」という恐れも抱いています。
つまり、夜々は人と関わること自体にある種の恐怖感を持っているんです。
だから「一対一で向き合うことが怖い」なのではないでしょうか。

たまに、夜々から友達に電話をかけているシーンがありますが、その時も友達は「暇だから自分にかけてきたんだろう」くらいに受け止められて、適当にあしらわれてしまいます。
これって、友達にとっての夜々の存在価値がよく分かるなと思うんですよね。
本当の友達と思ってる人への話し方じゃないというか、めんどくさそうな印象がしたというか…。
「夜々らしくない」とかって発言も、結局は「自分の中の夜々像」を夜々に押し付けているだけですよね。

一方、夜々にとっては、誰かに電話するってとても勇気がいることだったと思うんです。
そして、その勇気も「友達が思う夜々像」によって打ち砕かれてしまうわけです。

このように「相手に自分を認めてほしい」「ひとりの人として(怖いけれど)みてほしい」という様々な本音を隠し、求められている夜々像を演じ、人間関係への恐怖感を隠しながら生きてきた結果、本当の友達といえる人がいない、本音を言えるような人が夜々の周りにはいませんでした。

それだけ夜々は「自分がわからない」という苦しみを抱えてきたのだと思います。
本当の自分をわかって欲しいという欲求は紅葉も持っていたこと、一見周りに人はいるけれど表面的な人間関係しか築けないで生きてきたことなど、紅葉と夜々は共通点が多いですね。

紅葉と夜々は似ている点が多いのかもしれません

③人からの評価を受け入れられない

夜々はビジュアルの良さから、ずっとモテる人です。

でも、夜々は心の中に「本当の自分を見てほしい」とか「誰も自分のことをわかってくれない」という思いがあるので、見た目の良さに惹かれて近寄ってくる人を受け入れることができません。

もし、沙夜子が本来の夜々ときちんと向き合ってきていたら、彼女の美貌は、きっと彼女の中で自己肯定感を高めてくれるものの1つだったでしょう。

でも夜々は「かわいい見た目の女の子である」→「そんな自分のことを好きになった人」→「ママのお人形でしかない自分の見た目だけを好きになった人」みたいな認知になってしまうのではないかと思うんですね。

つまり「仲良くなっていない人」から「かわいいね」とか「きれいだね」といった褒め文句を言われても彼女には嬉しくもなんともないし、改めて「自分はママのお人形なんだ」っていうトラウマを、時を超えて再体験してしまうような出来事でしかないのかもしれません。

だから、相手がどんなに「夜々の見た目だけじゃなくて、中身も好きなんだ!」と言ったところで、今の夜々は受け入れることができないのではないかと思うんです。

親子関係でのつまずきが、どれほど子供の人生に影を落としてしまうのかを物語っているなと感じます。

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【いちばん好きな花】深雪夜々の魅力

さて、親子問題に大きなトラウマを抱えているばかりに、本来はその美貌などから得られたものも素直に受け入れることができずに大人になった夜々ですが、そんな彼女の魅力についても考察していきます!

まずは、彼女のヒロイン気質で、夜々がいるだけでその場がぱっと明るくなる。
これは彼女の大きな魅力でしょう。

椿、夜々、紅葉と出会ってからの夜々は、今まで抱えていた「ありのままの私を認めてほしい」という心の叫びを受け止めてもらえる場所を見つけることができました。

4人のなかでは、椿と紅葉が男性ですが、二人は夜々が「かわいいから」仲良くなったわけではなく、たまたま夜々がいただけです。
ゆくえに関しては、鋭い洞察力で、夜々の本質をすぐに見抜いてしまいました。

利害関係を発生させないために、ああいう出会い方を演出したのだとしたら、生方さんと村瀬さんの強引なやり方も納得がいくな〜。
椿の家は「安全基地」の役割があったわけで、あそこに4人が集まる必要があったんですよね〜

紅葉の時にも触れましたが、この3人は夜々を「利用」することもなければ、夜々が今まで悩んでいた「かわいい夜々像」を押し付けてくることもありません。
「あなたはどう思うの?」と「ひとりの人間」として向き合い意見に耳を傾けてくれます。

紅葉と同様に、やっと自分と真正面から向き合ってくれて安心できる場所が見つかったのでしょう。
4人の関係性に安心感を抱いた夜々は、徐々に自分の考えや思いを話すようになっていきました。

そして、ここが夜々のかわいいところなのですが、一度心を開いた人に夜々はめっちゃなつきますね。

椿・ゆくえ・紅葉が他の誰かと仲良くしていると、本音ではちょっとジェラシー感じちゃうところも、紅葉が怒って4人での食事の席を立ってしまった時に「思春期かよ!」と感情的に叫んだ後、「4人で食べたかったのに・・・」ってしょんぼりしてしまうところも、椿に勢い余って告白してフラレてしまった後に、紅葉のバイト先に駆け込んで弱音とも愚痴とも取れる本音を吐き出すところも、世界は自分を中心に回っているとでもいわんばかりのヒロイン具合が炸裂していたように大福は感じました。

今までずっとみんなの前でかわいい夜々を演じ続けてきた反動もあって、椿・ゆくえ・紅葉の前での夜々は喜怒哀楽激しめです。

元々こういう人だと「何だこの人は」と不快感を感じるところですが、夜々はずっと抑圧していた子供っぽくてわがままな自分をようやく出せるようになったという意味で、感情の純度が高く、屈託なく、クルクル変わる表情が印象的。
4人の関係以外の場では、相変わらず自分を抑えていい子にしている夜々の姿と対象的です。
このギャップが、夜々が本来持つ「かわいさ」で「魅力」なのだと思います。

そういえば、美鳥との再会した時の夜々も、とっても屈託ない表情をしていましたよね。たしかにあの笑顔でこられたら男の子がキュンってなっちゃうのもわかるな

特に4人の関係に対する「大好き」が、一番ストレートに出ているのも夜々だと思います。

そして、本当は「これ全部お母さんにやりたかったことなんだろうなぁ〜」って思うと、
夜々の甘え方が切なくて涙がでてしまうんですよね…。

愛着形成がうまく言っていたら、親子関係が上手に築けていたら…
きっとみんなの中心でキラキラ笑っているような、そんな子だったんだろうなぁ〜とか思っちゃいます。

そして、夜々は椿を好きになりましたね。
この4人の関係性の中で、唯一恋愛感情を抱えた一人が夜々。
結果的にフラレてしまいましたが、椿はすみれとの別れで女性との付き合いに疲れているタイミングでしょうし(一方、紅葉との男友達の関係性には心地よさを感じている模様です)、もう少し時間かけて向き合ってみてもいいのかもなとか、勝手に応援してしまいました。

そして、今回の考察で特徴的なのは、夜々に関しては、椿・ゆくえ・紅葉で出てきた「優しさ」っていうキーワードが思い浮かびません。
なぜでしょう?

夜々が優しくないというわけではないのですが、彼女が誰かに優しさを与えているのって、思い浮かぶのは主に母親の沙夜子だけです。

紫が一番好きな夜々だけど、ピンクの可愛さを教えてくれたお母さんでもあるんだよね…涙

もしかして、夜々だけは「優しさ」を「与える側」ではなくて「もらう側」として今回は存在しているのかな?と思ったりします。

夜々の名前は『深雪夜々』です。

『深い雪の夜』という名前をヒントに考えると、寒い冬の日に、椿・ゆくえ・紅葉から春の木漏れ日のような優しさをもらいながら、彼女が目指すのは「自立」なのかなという気がしてきます。

親子関係やそれによって出来てしまったトラウマからの自立によって、
夜々の人生がようやく春を迎えるのかなって。

だから春木椿(春の性質の人)を求めたのかもしれないなとか思っちゃいました

沙夜子とケンカしたことも、やっと母親が押し付けていた「夜々像」から自立を始めたといえると思います。
もともと沙夜子のほうが自他境界線がなかったですもんね。
沙夜子を拒絶した夜々、とても頑張ったと思います。

椿からフラレてしまったことも、告白をしてフラれるという経験によって、また一つ大人になる必要がありましたね。
今まで告白される方だった夜々なので、告白の仕方もしどろもどろでした。
やっと相手がどんな気持ちで告白してきてくれたのか、わかったのではないでしょうか。
そしてフラレた時にどれくらいショックだったのかも、きっとわかったことでしょう。
相手が根っから優しい椿でよかったなと思いますね(その優しさこそ夜々は大好きなのでしょうが)。

それでも、やっぱりこの関係が大事だからと、友達関係を保っている夜々は今何を感じているのでしょうか。

ちなみに、ゆくえが夜々を家に泊めたのは、妹このみと夜々の良い化学反応を期待したというのがありそうです。結果的に、このみと夜々は仲良く過ごせるようになってるわけなので、ゆくえの頭の良さには脱帽ですね。

この先、夜々がどんな経験をして、どういう風に一人の人間として自立していくのかという成長を見守れるのも、夜々の魅力のひとつですね!

そして、本当の意味で自立をした時には、今までもらった優しさを、今度は誰かに与えていけるような人になるのではないかなと思います。

さて、また違う考察が書けそうだったら書きますね!
もしよかったら感想などくれると嬉しいです。

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