考察カサンドラ

カサンドラを励ましてくれる映画「糸」菅田将暉演じる漣と小松菜奈演じる葵の絆からみる運命の人とは

カサンドラの背中を押してくれる映画「糸」菅田将暉演じる漣と小松菜奈演じる葵の絆からみる運命の人とはのアイキャッチ 考察
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※ネタバレ要素&若干スピリチュアル的側面のある記事です。気になる方は閲覧にご注意ください。

こんにちは。
自分の背中の老化現象に唖然とした大福です。
そろそろ花粉が飛びはじめていて、目がしょぼしょぼしてきました。

さて、大福は、ずーっと前から気になっていた映画がありました。

それは、歌手中島みゆきさんの名曲中の名曲「糸」からインスパイアして製作された映画、タイトルもそのまま「糸」です。

2020年公開当時から気になっていましたが、なかなかタイミングがなくて、最近ようやく観終わりました。

そして

ふふふふふふふ、深い!!!!!!

という感想と共に、菅田将暉さんと小松菜奈さんが演じる漣と葵の絆というか縁の深さに、ただただ涙を流しておりました。

いや〜この関係性演じたら、ほんとに好きになっちゃうかもだよな〜
(お二人はこの共演がきっかけでご結婚に繋がったそうです)

漣と葵は、まさに「運命の人」。

運命の人って言われてもこっちはとんでもない運命(因縁?)の相手から日々やられっぱなしだよ!!!

と心の雄叫びをあげるカサンドラさんがいるかもしれません。

まぁ、ちょっと聞いてくださいよ。
色々とささくれだった感情に陥りがちなカサンドラさんにこそ、ぜひこの映画「糸」をおすすめしたい。

そこで、大福なりに映画「糸」についての考察をまとめてみました。
内容的に、ちょっと抽象的だったりロマンチックな感じだったりしますが、こういう捉え方もあるかもと思ってもらえたら幸いです。

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映画「糸」から考察する、運命の人と結ばれることの難しさ

大福がこの映画「糸」をみて、まず感じたことは

「運命の人と結ばれることの難しさ」です

「糸」の主人公である漣と葵はいわゆる「運命の人」です。
しかしこの二人、お互いに大好きなのに、なかなか結ばれません。

というより、ずーっとすれ違っている!

本当は結ばれたいと心の底から(お互い)願っているのに、
不思議なことに、そう簡単には一緒に居させてもらえない。
それどころか、離れていないといけない期間がとても長い。

それで、何が言いたいかっていうとですね!

今あなたと一緒にいるパートナーが、本当の運命の人とは限らない!

ってことなんですよ。

たとえば、相手とスムーズに…言葉を変えると「トントン拍子」とかで結ばれてる人がいたとしたら、それこそ、運命の人ではないのかもよ?ってことが考えられるなと大福は思ったのです!

大福は元夫トレインが運命の人ではなかった!

と思うだけで心が軽くなりましたよ

「そもそも、運命の人なんているのか?」

「いや、いたとして、出会えるのか?」

そう思いますよね〜
そうなんですよ。

本当の運命の人って、出会えないほうが圧倒的に多いし、出会えたとしてもその人生の中で結ばれないこともザラにあるんだってことが、この映画を観てるとわかってくるのです。

つまり「結婚した相手=運命の人(まだ結婚前の人は引き返せるんだぞ!)」という1つの図式をぶった斬ってくれる価値観を、大福に与えてくれた映画なわけなのです。

運命の人とだってここまで困難だらけで、お互いにクリアしないといけない課題が山積みなのに、ましてや運命の人じゃない人といたら、そりゃうまくいかなくたって当たり前だよな〜

逆にですよ?

もしあなたに、漣と葵みたいに「お互いに好きなのに(両片想いってやつ?)なかなか一緒にいさせてくれない。何故か思いを成就させてくれない。なんでこんなに離れていないといけないんだろう」みたいな人がいたとしたら、

その人こそ、本当の運命の人かもしれないっていうこともいえるわけ

そんな人と、もし人生で出会っていたとしたら、夢があるじゃないですか〜
あと、もうひとつ感じたことは、

じゃあなぜ、元夫トレインと結婚したのか?

というところなわけです。
そして、そこについて大福が夜な夜なふけこんで考えた結果が

それは【縁のある人】だったから

ってことなのではないかと。
そう考えると、元夫トレインと結婚したことにも納得がいくんです。

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映画「糸」からみる、運命の人と縁のある人の違いとは?

難しい内容になってきました。
見方によっては「どっちも同じで言い方の違いでしょ」みたいな感じになりそうです。

こちらも大福なりの解釈になりますが、

  • 運命の人・・・輪廻転生レベルで最後的にたどり着く人
  • 縁のある人・・・運命の人に向かっている過程で出会う人

ざっくりこんな感じかなー。

だから、そうですね、大福にあてはめてみると、
大福が運命の人に出会ってるかは置いておいて…

  • 元夫トレインとは、その道の過程で縁があって結婚した。
  • 家族とか夫婦(パートナーシップ)の面についてお互いに学ぶことがある縁だった。

という感じですかね。

そして、ちょっと視点を広げた話しに変わりますが、
世の中は「縁のある人と一緒にいる人だらけ」なのかもしれないって思ったんですね。
つまり

なーんだ、じゃあ元夫トレインみたいな人と結婚しちゃうことのほうがむしろあるあるなんじゃん

と、思うに至りました。
とにかく「運命の人じゃないけれど、結婚する縁のある人」と結婚している人が多いと。

そして、その考えにたどり着いたら、なんだか自分のことが許せたような気持ちになりました。
というのも実は大福、離婚後も心のどこかでトレインと結婚しちゃった自分ていうのを許せていなかったんです。

結婚した相手を間違えてしまった…みんなが幸せに生きているのに、なんで私はあんなやつと…悶々…

という後悔の念みたいなものが、やっぱどこかにあって。
過去を振り返ると自己嫌悪に陥って「なんなんだろうな〜私の人生」みたいになっちゃって。

でも、それも、置き換えて考えてみれば

そうか!

ここを通らないと運命の人にたどり着かなかったからなんだ!

と思ったし、じゃあここをクリアしたってことは、また一歩運命の人に近づいたってことなのかもしれないなって思ったんですぅー!

ロマンチックだし夢があるし、

過去が無駄じゃなかったって思える

同時に、こんなハードモードの課題をクリアしないとたどり着けない運命の人とは…?という不安も出るわけですが、この映画を根拠に考えていくと、お互いに心底一緒にいたいと望んでいる人に違いなくて、その時は大福も相手のことを全面的に受け入れていけるだけの器が備わっているのだろうなと思い直しました。

ちなみに、運命の人ではないけれど縁のある人のことを、なにも無碍にしたりするわけではないんです。
ちゃんと大事だし、愛していて、お互いの人生に影響を与えあっているんです。

でも、なんだろうな…
運命の人と縁のある人は、その「愛情の温度感」みたいなのが違うって感じに、大福は見受けました。

どちらも愛がないってわけじゃない

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映画「糸」から学んだことは「あなたは学ぶことがあるからそこにいる」ということ

さて、まとめに入りますが、この映画を観て大福は

私の人生これでよかったんだ!課題をクリアする(=学び)べくしてトレインと結婚して課題をクリアした。学び終わったから、縁が終わって離婚した

そう受け止め直すことができました。

もし、今パートナーとの関係に悩んだり、後悔したりしているカサンドラさんがいたら

お互いに何かを学ぶために、パートナーという縁で結ばれている縁のある人だからかもしれないよ

ということを伝えたくなります。

まさに、縁という点が連なって糸になって繋がった先にいるのが最終的にたどりつく運命の人なのかなって、そういう現実的な側面を超えてもっとスケール感に大きなものを描いているのが、映画「糸」なのかなというふうに感じました。

大福にとっては、ハッとした気づきをくれて、後悔している気持ちや失敗したという思いをすべて意味のあるものに変えてくれて、前向きにさせられた映画でした。

ぜひよかったら観てみてくださいね!
最後までお読みいただきありがとうございます!

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